目次
- はじめに:ストレンジネスとは何か
- 第1部:ストレンジネスの発見と歴史
- 第2部:ストレンジクォークの特性と役割
- 第3部:ストレンジネスを持つ粒子たち
- 第4部:ストレンジネスの保存則と崩壊過程
- 第5部:現代物理学におけるストレンジネスの重要性
はじめに:ストレンジネスとは何か
素粒子物理学の世界は、私たちの日常感覚では捉えきれない不思議な現象に満ちています。その中でも特に「奇妙」と名付けられた性質があります。それが「ストレンジネス(strangeness)」です。この性質は、素粒子物理学の発展において重要な役割を果たしてきました。本記事では、このストレンジネスという性質について、その発見から現代物理学における意義まで、詳細に解説していきます。
第1部:ストレンジネスの発見と歴史
奇妙な粒子の謎
1947年、宇宙線の研究中にイギリスの物理学者セシル・パウエルとジュゼッペ・オキアリーニは、それまで知られていなかった新しい粒子を発見しました。この粒子は「K中間子(Kメソン)」と名付けられ、予想外の振る舞いを示したことから、物理学者たちを驚かせました。K中間子は、生成されるときは必ず対で現れるにもかかわらず、崩壊する時間が予想よりもはるかに長かったのです。
この「遅い崩壊」は当時の物理理論では説明できず、物理学者たちは頭を悩ませました。なぜこれらの粒子は、強い力で生成されるにもかかわらず、弱い相互作用でしか崩壊しないのでしょうか?この謎は「τ-θパズル」として知られるようになりました。
ゲル=マンとニシジマによるストレンジネスの提案
1953年、アメリカの理論物理学者マレー・ゲル=マンと日本の物理学者西島和彦は、それぞれ独立に、この謎を解く鍵となる新しい量子数を提案しました。ゲル=マンはこれを「ストレンジネス(奇妙さ)」と名付け、西島は「η-電荷」と呼びました。この量子数の導入により、K中間子やΛ粒子などの「奇妙な粒子」の振る舞いが説明できるようになりました。
ストレンジネスという名前は、これらの粒子の予想外の振る舞いが「奇妙(strange)」だったことに由来しています。この命名は、物理学の歴史の中でも特に直感的なものの一つといえるでしょう。
ストレンジネスの保存則
ゲル=マンと西島の画期的な発見は、「ストレンジネスの保存則」の提案でした。彼らは、強い相互作用と電磁相互作用ではストレンジネスが保存されるが、弱い相互作用ではそうではないという法則を見出しました。これにより、なぜK中間子が対生成され、なぜその崩壊が遅いのかが説明できるようになりました。
強い相互作用では、ストレンジネスの総和は反応の前後で変わりません。したがって、ストレンジネスを持つ粒子を生成するためには、反対のストレンジネスを持つ別の粒子も同時に生成する必要があります。一方、弱い相互作用ではストレンジネスが変化できるため、K中間子は単独で崩壊できますが、これには弱い相互作用特有の遅い時間スケールが伴います。
この保存則の発見は、素粒子物理学における対称性と保存則の重要性を示す典型的な例となりました。
加速器実験によるストレンジ粒子の研究
1950年代から1960年代にかけて、世界中の加速器施設でストレンジ粒子の研究が精力的に行われました。ブルックヘブン国立研究所のコスモトロン、欧州原子核研究機構(CERN)のプロトン・シンクロトロンなどの加速器を用いて、物理学者たちはK中間子、Λ粒子、Σ粒子、Ξ粒子など、さまざまなストレンジ粒子を生成し、その性質を詳細に調べました。
これらの実験により、ストレンジネスという概念の正当性が確認されるとともに、素粒子の分類体系が整備されていきました。特に重要だったのは、ストレンジネスが整数値(0, ±1, ±2, ±3…)を取ることが確認されたことです。これは後に、ストレンジネスがより基本的な構成要素に関連していることを示唆する重要な手がかりとなりました。
クォーク模型の誕生とストレンジクォーク
1964年、マレー・ゲル=マンとジョージ・ツヴァイクは、それぞれ独立に、ハドロン(強い相互作用をする粒子)がより基本的な粒子から構成されているという「クォーク模型」を提案しました。この模型では、当初「アップ(u)」「ダウン(d)」「ストレンジ(s)」の3種類のクォークが想定されました。
ストレンジクォークは、その名の通り、ストレンジネスを担う基本粒子です。ストレンジクォーク(s)にはストレンジネス-1が割り当てられ、反ストレンジクォーク(s̄)にはストレンジネス+1が割り当てられました。この割り当てにより、すべてのストレンジ粒子の性質が統一的に説明できるようになりました。
例えば、K+中間子は反ストレンジクォーク(s̄)とアップクォーク(u)から構成され、ストレンジネス+1を持ちます。一方、Λ粒子はアップクォーク(u)、ダウンクォーク(d)、ストレンジクォーク(s)から構成され、ストレンジネス-1を持ちます。
クォーク模型の実験的検証
クォーク模型は魅力的な理論でしたが、当初は「数学的な便宜」として考えられており、クォークが実在する粒子であるかどうかは不明でした。しかし、1968年にスタンフォード線形加速器センター(SLAC)で行われた深部非弾性散乱実験は、陽子の内部に点状の構造があることを示し、クォークの実在性を強く示唆しました。
1970年代には、J/ψ粒子(チャームクォークと反チャームクォークの束縛状態)の発見などにより、クォーク模型はさらに確固たるものとなりました。ストレンジクォークの存在も、間接的ではあるものの、ほぼ確実視されるようになりました。
ストレンジネスからフレーバーへ
クォーク模型の発展とともに、物理学者たちはストレンジネスをより一般的な概念の一部として捉えるようになりました。1970年代には、「チャーム(c)」「ボトム(b)」「トップ(t)」という新しいクォークが予言され、後に発見されました。
これらのクォークもそれぞれ独自の量子数を持っており、物理学者たちはこれらをまとめて「フレーバー(風味)」と呼ぶようになりました。ストレンジネスは、このフレーバーという概念の一部として位置づけられるようになりました。
現代の素粒子物理学では、6種類のクォーク(アップ、ダウン、ストレンジ、チャーム、ボトム、トップ)が知られており、それぞれが独自のフレーバー量子数を持っています。ストレンジネスは、このクォークフレーバーの中で最初に発見された非自明なものとして、素粒子物理学の歴史において特別な位置を占めています。
標準模型の確立とストレンジネスの位置づけ
1970年代から1980年代にかけて、素粒子物理学の標準模型が確立されていきました。この模型では、物質を構成する基本粒子としてクォークとレプトンが、相互作用を媒介する粒子としてゲージボソンが位置づけられています。
標準模型において、ストレンジクォークは「第二世代」に属するクォークとして分類されています。第一世代(アップ、ダウン)、第二世代(チャーム、ストレンジ)、第三世代(トップ、ボトム)という分類は、質量の大きさに基づいており、高世代のクォークほど質量が大きくなります。
興味深いことに、宇宙の通常物質(恒星や惑星など)を構成しているのは主に第一世代の粒子(アップクォーク、ダウンクォーク、電子)であり、ストレンジクォークを含む高世代の粒子は、高エネルギー過程でのみ生成され、すぐに崩壊してしまいます。ただし、極限的な環境(中性子星の内部など)では、ストレンジクォークが安定して存在する可能性も理論的には示唆されています。
第2部:ストレンジクォークの特性と役割
ストレンジクォークの基本特性
ストレンジクォークは、素粒子物理学の標準模型において重要な役割を果たす基本粒子の一つです。その特性を詳しく見ていきましょう。
ストレンジクォークの基本的な物理量は以下の通りです。
- 電荷:-1/3e(e:素電荷)
- スピン:1/2
- ストレンジネス量子数:-1
- アイソスピン:0
- 質量:約95 MeV/c²(陽子質量の約1/10)
- 平均寿命:単独では存在できず、ハドロン内に閉じ込められる
ストレンジクォークは第二世代のクォークに分類され、アップクォークやダウンクォークよりも重い質量を持ちますが、チャーム、ボトム、トップクォークよりは軽いという中間的な位置にあります。この質量は陽子の約1/10程度ですが、興味深いことに、理論的には予測できず、実験によって決定された値です。
クォークの閉じ込めとカラー相互作用
ストレンジクォークを含むすべてのクォークは、単独では観測されないという「クォークの閉じ込め」という現象が見られます。これは量子色力学(QCD)という理論で説明されています。
クォークは「カラー荷」と呼ばれる特殊な電荷を持ち、「赤」「緑」「青」の三種類があります(もちろん、実際に色がついているわけではなく、単なる名称です)。このカラー荷によって、クォーク間に「強い力」と呼ばれる力が働きます。
強い力の特徴は以下の通りです。
- 距離が遠くなるほど力が強くなる(通常の力は距離の二乗に反比例して弱くなる)
- カラー中性(白色)の状態が安定
- グルーオンという粒子によって媒介される
このカラー相互作用の特性により、クォークは常に他のクォークやグルーオンと結合して「白色」の複合粒子(ハドロン)を形成します。ストレンジクォークも例外ではなく、単独では存在できません。
ストレンジクォークを含むハドロンの種類
ストレンジクォークを含むハドロンは、大きく分けてメソン(中間子)とバリオン(重粒子)の二種類に分類されます。
ストレンジメソン
メソンはクォークと反クォークのペアから構成される粒子です。ストレンジクォークを含む代表的なメソンには以下のようなものがあります。
- K中間子(Kメソン)ファミリー
- K⁺(us̄):ストレンジネス +1
- K⁰(ds̄):ストレンジネス +1
- K⁻(ūs):ストレンジネス -1
- K̄⁰(d̄s):ストレンジネス -1
- η中間子(uū + dd̄ + ss̄):ストレンジネス 0(ストレンジクォークと反ストレンジクォークが相殺)
- φ中間子(ss̄):ストレンジネス 0(同上)
K中間子は、ストレンジネスの概念を導入する契機となった歴史的に重要な粒子です。K中間子には電荷の異なる種類があり、それぞれ異なる崩壊様式を示します。特にK⁰中間子とK̄⁰中間子は量子力学的に混合し、CP対称性の破れという重要な現象を示すことで知られています。
ストレンジバリオン
バリオンは三つのクォークから構成される粒子で、陽子や中性子もこのカテゴリーに含まれます。ストレンジクォークを含む代表的なバリオンには以下のようなものがあります。
- Λ(ラムダ)粒子(uds):ストレンジネス -1
- Σ(シグマ)粒子
- Σ⁺(uus):ストレンジネス -1
- Σ⁰(uds):ストレンジネス -1
- Σ⁻(dds):ストレンジネス -1
- Ξ(クシー)粒子
- Ξ⁰(uss):ストレンジネス -2
- Ξ⁻(dss):ストレンジネス -2
- Ω⁻(オメガマイナス)粒子(sss):ストレンジネス -3
これらのバリオンは、含まれるストレンジクォークの数に応じて、ストレンジネス-1から-3までの値を持ちます。特に、Ω⁻粒子は三つのストレンジクォークからなる唯一のバリオンで、1964年にその存在が予言され、同年に実験的に発見されました。この発見は、クォーク模型の強力な証拠となりました。
ストレンジクォークの生成と崩壊
生成過程
宇宙の通常物質には、ストレンジクォークはほとんど含まれていません。ストレンジクォークを含む粒子は、高エネルギー衝突などの条件下で生成されます。主な生成プロセスには以下のようなものがあります。
- 陽子-陽子衝突:p + p → p + Λ + K⁺
- 陽子-中性子衝突:p + n → n + Λ + K⁺
- 光子-核子衝突:γ + p → Λ + K⁺
これらの反応では、エネルギー保存則により、入射粒子のエネルギーの一部がクォーク-反クォーク対(この場合はs-s̄対)の生成に使われます。ストレンジネス保存則により、ストレンジクォーク(s)と反ストレンジクォーク(s̄)は常に対で生成されます。
崩壊過程
ストレンジクォークは不安定で、弱い相互作用によって主にアップクォークやダウンクォークに崩壊します。代表的な崩壊過程は次の通りです。
- s → u + W⁻
- s → u + e⁻ + ν̄ₑ
この崩壊は弱い相互作用を介して起こるため、比較的遅い過程です。典型的な崩壊時間は10⁻¹⁰秒程度で、これは強い相互作用の典型的な時間スケール(10⁻²³秒程度)よりもはるかに長いものです。
ストレンジクォークを含むハドロンの崩壊では、通常はストレンジネスが1だけ変化します(ΔS = ±1)。これは「ΔS = 1ルール」と呼ばれ、弱い相互作用の特性を反映しています。例えば:
- Λ → p + π⁻(ΔS = +1)
- K⁻ → μ⁻ + ν̄μ(ΔS = +1)
ストレンジクォークの特殊な性質
ストレンジクォークには、他のクォークにはない特殊な性質がいくつかあります。
CPの破れとK中間子系
K中間子系では、CPと呼ばれる対称性(荷電共役C×パリティPの積)が破れる現象が観測されています。1964年、クロニンとフィッチによって発見されたこの現象は、宇宙における物質と反物質の非対称性を説明する手がかりとなっています。
K⁰中間子とK̄⁰中間子は量子力学的に混合し、K₁(CP=+1)とK₂(CP=-1)という状態を形成します。理論的にはK₂は3πに崩壊するはずですが、実験では少数のK₂が2πに崩壊することが観測されました。これはCP対称性が厳密には保存されないことを示しています。
ストレンジネスの生成抑制
高エネルギー衝突実験では、ストレンジクォークを含む粒子の生成率は、アップクォークやダウンクォークを含む粒子に比べて抑制されています。これは「ストレンジネス抑制因子」と呼ばれ、約0.3程度の値を持つことが知られています。
この抑制は、ストレンジクォークの質量がアップクォークやダウンクォークよりも大きいことに起因しています。より大きな質量のクォークを生成するには、より多くのエネルギーが必要になるためです。
クォーク・グルーオン・プラズマ中でのストレンジネスの増強
興味深いことに、クォーク・グルーオン・プラズマ(QGP)と呼ばれる高温・高密度状態では、ストレンジネスの生成が増強されることが理論的に予測され、実験的にも確認されています。
QGPは、初期宇宙や重イオン衝突実験で実現すると考えられている状態で、クォークとグルーオンが自由に動き回ることができます。このような環境では、グルーオン融合過程(g + g → s + s̄)によるストレンジクォークの生成が促進されます。
このストレンジネス増強現象は、QGP形成の証拠の一つとして注目されており、相対論的重イオン衝突実験(RHIC)や大型ハドロン衝突型加速器(LHC)における重イオン衝突実験で研究されています。
第3部:ストレンジネスを持つ粒子たち
ストレンジハドロンの分類と特徴
ストレンジネスを持つ粒子(ストレンジハドロン)は、含まれるストレンジクォークの数によって特徴づけられます。これらの粒子は、素粒子物理学の発展において重要な役割を果たしてきました。ここでは、代表的なストレンジハドロンについて詳しく見ていきましょう。
K中間子(Kメソン)ファミリー
K中間子は、ストレンジクォークまたは反ストレンジクォークを含む最も軽いメソンです。その特徴は以下の通りです。
- 構成:ストレンジクォーク(s)または反ストレンジクォーク(s̄)と、アップ(u)またはダウン(d)クォーク(またはその反粒子)の組み合わせ
- 質量:約494〜498 MeV/c²(電子質量の約1000倍)
- 平均寿命:10⁻⁸秒程度(荷電K中間子)、10⁻¹⁰秒程度(中性K中間子)
- スピン:0(スカラー粒子)
K中間子には4種類の基本状態があります:
- K⁺(us̄):電荷+1、ストレンジネス+1
- K⁰(ds̄):電荷0、ストレンジネス+1
- K⁻(ūs):電荷-1、ストレンジネス-1
- K̄⁰(d̄s):電荷0、ストレンジネス-1
K中間子の物理学的に興味深い性質の一つは、中性K中間子系(K⁰とK̄⁰)に見られる「フレーバー振動」現象です。K⁰とK̄⁰は量子力学的に混合し、時間とともに互いに変換し合います。この振動現象は、小林・益川理論によって予言されたCP対称性の破れの研究において重要な役割を果たしました。
また、K中間子の崩壊過程には多くの興味深い物理が含まれています。例えば:
- K⁺ → μ⁺ + νμ(ミューオン型レプトン崩壊)
- K⁺ → π⁺ + π⁰(ハドロン崩壊)
- K⁰ₛ → π⁺ + π⁻(2体崩壊)
- K⁰ₗ → π⁺ + π⁻ + π⁰(3体崩壊)
これらの崩壊は、弱い相互作用の性質や、クォーク間の混合(CKM行列)を研究する上で重要なプローブとなっています。
ハイペロン:ストレンジバリオン
ハイペロンは、少なくとも一つのストレンジクォークを含むバリオン(三クォーク粒子)の総称です。代表的なハイペロンとその特性は以下の通りです。
Λ(ラムダ)粒子
- 構成:uds(アップ、ダウン、ストレンジの各クォークを1つずつ)
- 質量:約1116 MeV/c²
- ストレンジネス:-1
- スピン:1/2
- 平均寿命:約2.6×10⁻¹⁰秒
- 主な崩壊モード:Λ → p + π⁻(64%)、Λ → n + π⁰(36%)
Λ粒子は最も軽いストレンジバリオンであり、宇宙線中で最初に発見されたストレンジ粒子の一つです。その長い寿命は、「奇妙な」崩壊特性の典型例となりました。
Λ粒子の内部構造には興味深い特徴があります。三つのクォークの配置において、ストレンジクォークは特に他の二つのクォーク(ud)から分離している傾向があり、これが独特の崩壊特性をもたらします。
Σ(シグマ)粒子
- 構成:
- Σ⁺(uus):電荷+1
- Σ⁰(uds):電荷0
- Σ⁻(dds):電荷-1
- 質量:約1190〜1197 MeV/c²
- ストレンジネス:いずれも-1
- スピン:1/2
- 平均寿命:Σ⁺とΣ⁻は約10⁻¹⁰秒、Σ⁰は約7.4×10⁻²⁰秒(非常に短い)
Σ粒子の中で特に興味深いのはΣ⁰で、非常に短い寿命で電磁崩壊(Σ⁰ → Λ + γ)を起こします。これは、ΣとΛの質量差が小さく、電磁崩壊が可能なためです。
Ξ(クシー)粒子
- 構成:
- Ξ⁰(uss):電荷0
- Ξ⁻(dss):電荷-1
- 質量:約1315〜1321 MeV/c²
- ストレンジネス:-2(ストレンジクォークを2つ含む)
- スピン:1/2
- 平均寿命:約10⁻¹⁰秒
- 主な崩壊モード:Ξ⁰ → Λ + π⁰、Ξ⁻ → Λ + π⁻
Ξ粒子は「カスケード粒子」とも呼ばれ、二段階の崩壊を示します。まず最初にΛ粒子と中性子に崩壊し、そのΛ粒子がさらに崩壊します。この「カスケード」的な崩壊過程が名前の由来です。
Ω⁻(オメガマイナス)粒子
- 構成:sss(ストレンジクォークを3つ含む)
- 質量:約1672 MeV/c²
- ストレンジネス:-3
- スピン:3/2
- 電荷:-1
- 平均寿命:約8.2×10⁻¹¹秒
- 主な崩壊モード:Ω⁻ → Λ + K⁻、Ω⁻ → Ξ⁰ + π⁻
Ω⁻粒子は、1962年にゲル=マンによって理論的に予言され、1964年にBNLで実験的に発見されました。この発見は、クォーク模型の正当性を示す決定的な証拠となりました。同種の3つのストレンジクォークからなる唯一のバリオンであり、最もストレンジネスの大きいハドロンです。
エキゾチックなストレンジハドロン
近年の実験技術の発展により、従来の枠組みを超える「エキゾチックな」ストレンジハドロンも発見されています。
ペンタクォーク
- 構成:4つのクォークと1つの反クォーク
- 例:Θ⁺(uudds̄)
- 特徴:バリオン数+1、ストレンジネス+1の珍しい組み合わせ
ペンタクォークの存在は長らく議論の的でしたが、2015年、LHCb実験で、隠れチャーム(cc̄)を含むペンタクォーク状態P_c^+(4450)とP_c^+(4380)が発見されました。これらの粒子は、ストレンジネスは持ちませんが、ペンタクォーク構造の存在証明となりました。
テトラクォーク
- 構成:2つのクォークと2つの反クォーク
- 例:a₀(980)、f₀(980)(可能性のある候補)
- 特徴:メソン的性質を持つが、通常のメソンよりも複雑な内部構造
一部の軽いスカラーメソンは、テトラクォーク構造(sds̄ū等)を持つ可能性が議論されています。また、2020年にLHCbで発見されたX(6900)は、チャームクォークを含むテトラクォーク状態と考えられています。
ストレンジネスと原子核物理
ストレンジネスの概念は、原子核物理学にも拡張されています。
ハイパー核
- 定義:通常の核子(陽子・中性子)に加え、少なくとも1つのハイペロン(主にΛ粒子)を含む原子核
- 例:³_ΛH(重水素核の中性子がΛ粒子に置き換わったもの)
- 特徴:
- ストレンジネス-1を持つ
- 通常の原子核とは異なる束縛エネルギーを示す
- ハイペロンと核子の相互作用を研究する貴重な場を提供
ハイパー核の研究は、バリオン間相互作用や、中性子星の内部構造の理解につながる重要な分野です。J-PARC(日本)やGSI(ドイツ)などの施設で精力的に研究されています。
ダブルストレンジネス系
- 定義:ストレンジネス-2を持つ系
- 例:
- Ξハイパー核(Ξ粒子を含む原子核)
- H-ダイバリオン(予想される6クォーク状態、uuddss)
これらのシステムは極めて稀少であり、実験的研究は困難ですが、強い相互作用の理解を深めるために重要です。特にH-ダイバリオンは、安定な6クォーク状態の可能性があり、理論的に大きな注目を集めています。
ストレンジ物質の可能性
極端な条件下では、ストレンジクォークを大量に含む「ストレンジ物質」が存在する可能性が理論的に示唆されています。
ストレンジレット
- 定義:多数のアップ、ダウン、ストレンジクォークからなる小さな物質塊
- 特徴:
- 通常の核子と比べて低いエネルギー状態を取り得る
- 質量/バリオン数比が小さい可能性
- 理論的には安定である可能性
ストレンジレットは、高エネルギー重イオン衝突実験で生成される可能性が議論されていますが、現在までに確実な証拠は見つかっていません。
ストレンジ星
- 定義:クォーク物質(主にu, d, sクォーク)からなる高密度天体
- 特徴:
- 中性子星よりも高密度
- 特徴的な質量-半径関係
- 独特の冷却過程
ストレンジ星の存在は、X線観測などによって検証される可能性がありますが、現在のところ確実な証拠はありません。将来の高感度X線観測衛星や重力波観測によって、その存在が明らかになるかもしれません。
第4部:ストレンジネスの保存則と崩壊過程
ストレンジネス保存則の基本
素粒子物理学における保存則は、自然界の対称性と密接に関連しています。ストレンジネスの保存則も例外ではなく、素粒子の相互作用を理解する上で重要な役割を果たしています。ストレンジネス保存則の基本的な特徴は以下の通りです。
- 強い相互作用:ストレンジネスは厳密に保存される
- 電磁相互作用:ストレンジネスは厳密に保存される
- 弱い相互作用:ストレンジネスは保存されない(ΔS = 0, ±1の変化が可能)
この保存則の「部分的」な性質が、ストレンジ粒子の特徴的な振る舞いを生み出しています。例えば、K中間子が対生成される理由や、ストレンジ粒子の崩壊が比較的遅い理由を説明できます。
強い相互作用とストレンジネスの生成
強い相互作用ではストレンジネスが保存されるため、ストレンジクォーク(s)を生成する際には、必ず反ストレンジクォーク(s̄)も同時に生成する必要があります。これにより、強い相互作用過程では、全体のストレンジネスはゼロのままとなります。
代表的なストレンジネス生成反応の例:
- p + p → p + Λ + K⁺
- p + p → p + Σ⁰ + K⁺
- π⁻ + p → Λ + K⁰
これらの反応では、生成されるΛ粒子やΣ粒子がストレンジネス-1を持ち、K⁺やK⁰中間子がストレンジネス+1を持つため、全体としてストレンジネスは保存されています。
ストレンジネスの保存則は、高エネルギー物理学の初期の段階で、「関連生成(associated production)」と呼ばれる現象の説明に重要な役割を果たしました。関連生成とは、ストレンジ粒子が常に対(例:ΛとK⁺)で生成される現象のことです。
弱い相互作用とストレンジネスの変化
弱い相互作用では、ストレンジネスは保存されません。ただし、変化量には制限があり、通常はΔS = ±1の変化が主に観測されます(一部の過程ではΔS = 0も可能)。これは「ΔS = 1ルール」として知られています。
弱い相互作用によるストレンジネス変化の例:
- Λ → p + π⁻(ΔS = +1)
- K⁻ → μ⁻ + ν̄μ(ΔS = +1)
- Ξ⁻ → Λ + π⁻(ΔS = +1)
このルールには例外もあり、「ΔS = 2」過程も原理的には可能ですが、非常に抑制されています。例えば、K⁰-K̄⁰振動はΔS = 2の過程ですが、「箱図」と呼ばれる高次の過程を通じてのみ起こります。
弱い相互作用によるストレンジネスの変化は、クォーク間の「フレーバー混合」に関連しています。標準模型では、この混合はCKM(カビボ・小林・益川)行列によって記述されます。ストレンジクォークは主にアップクォークに崩壊しますが、その遷移確率はCKM行列の要素|V_us|²に比例し、その値は約0.05です。この小さな値が、ストレンジ粒子の比較的長い寿命の理由の一つです。
カビボ角とストレンジネス
弱い相互作用におけるクォーク間の混合は、最初「カビボ角」という概念で記述されました。カビボ角(θ_c)は、弱い相互作用の固有状態と質量の固有状態のずれを表すパラメータです。実験的に測定されたカビボ角は約13度で、sin²θ_c ≈ 0.05です。
カビボ角の主な特徴:
- ストレンジネスを変化させる崩壊は、sin²θ_cの因子だけ抑制される
- これにより、ΔS = 1の崩壊はΔS = 0の崩壊よりも約20倍遅くなる
- カビボ角の起源は標準模型では説明されず、より基本的な理論の存在を示唆している
カビボ角の概念は後に、三世代のクォークに拡張され、CKM行列となりました。この行列の非対角要素が、異なるフレーバー間の遷移確率を決定します。
ストレンジ粒子の崩壊様式と寿命
ストレンジ粒子の崩壊様式は、その構成クォークやストレンジネスによって決まります。代表的なストレンジ粒子の崩壊様式と寿命を見てみましょう。
K中間子の崩壊
K中間子の崩壊には、レプトン崩壊とハドロン崩壊があります。
- レプトン崩壊:K⁺ → μ⁺ + νμ(63.6%)、K⁺ → e⁺ + νe(5.1%)
- ハドロン崩壊:K⁺ → π⁺ + π⁰(20.7%)、K⁺ → π⁺ + π⁺ + π⁻(5.6%)
中性K中間子系では、K⁰とK̄⁰の量子力学的干渉により、短寿命成分(K⁰_S)と長寿命成分(K⁰_L)が生じます。
- K⁰_S → π⁺ + π⁻(69.2%)、π⁰ + π⁰(30.7%)、平均寿命約8.9×10⁻¹¹秒
- K⁰_L → π± + e∓ + ν(40.6%)、π± + μ∓ + ν(27.0%)、3π(32.1%)、平均寿命約5.1×10⁻⁸秒
K⁰_LとK⁰_Sの寿命差(約570倍)は、パリティ対称性の破れと深く関連しています。
ハイペロンの崩壊
ハイペロンは主に弱い相互作用で崩壊し、より軽いバリオンとメソンを生成します。
- Λの崩壊:
- Λ → p + π⁻(63.9%)
- Λ → n + π⁰(35.8%)
- 平均寿命:2.6×10⁻¹⁰秒
- Σ粒子の崩壊:
- Σ⁺ → p + π⁰(51.6%)、n + π⁺(48.3%)
- Σ⁻ → n + π⁻(99.8%)
- Σ⁰ → Λ + γ(100%、電磁崩壊)
- 平均寿命:Σ⁺約8.0×10⁻¹¹秒、Σ⁻約1.5×10⁻¹⁰秒、Σ⁰約7.4×10⁻²⁰秒
- Ξ粒子の崩壊:
- Ξ⁰ → Λ + π⁰(99.5%)
- Ξ⁻ → Λ + π⁻(99.9%)
- 平均寿命:Ξ⁰約2.9×10⁻¹⁰秒、Ξ⁻約1.6×10⁻¹⁰秒
- Ω⁻粒子の崩壊:
- Ω⁻ → Λ + K⁻(67.8%)
- Ω⁻ → Ξ⁰ + π⁻(23.6%)
- Ω⁻ → Ξ⁻ + π⁰(8.6%)
- 平均寿命:約8.2×10⁻¹¹秒
これらの崩壊過程において、ストレンジネスは通常1だけ変化します(ΔS = +1)。ハイペロンの崩壊においても、ストレンジネス変化を伴う崩壊は比較的遅いという特徴があります。
ストレンジネス振動現象
中性K中間子系(K⁰-K̄⁰)では、量子力学的な粒子-反粒子振動が観測されます。この現象は「ストレンジネス振動」と呼ばれ、弱い相互作用による高次の効果として理解されています。
ストレンジネス振動の主な特徴:
- K⁰(ds̄、ストレンジネス+1)とK̄⁰(d̄s、ストレンジネス-1)は時間とともに互いに変換する
- 振動の周期は約1.7×10⁻¹⁰秒
- この現象はΔS = 2の過程であり、「箱図」と呼ばれる二次の弱い相互作用で起こる
- CP対称性の破れの研究において重要な役割を果たした
同様の振動現象は、B中間子系(B⁰-B̄⁰)やD中間子系(D⁰-D̄⁰)でも観測されていますが、それぞれ異なる振動頻度を持ちます。これらの振動頻度の測定は、CKM行列のパラメータを精密に決定するための重要な情報源となっています。
ストレンジネスとCP対称性の破れ
CP対称性の破れは、素粒子物理学における最も重要な発見の一つであり、宇宙における物質と反物質の非対称性を説明する鍵と考えられています。この現象は1964年にK中間子系で初めて観測されました。
K中間子系でのCP対称性の破れの主な特徴:
- K⁰とK̄⁰はCP変換で互いに移り変わる
- CP固有状態K₁(CP = +1)とK₂(CP = -1)が定義される
- K₁は主に2πに崩壊、K₂は主に3πに崩壊するはず
- 実験的には、K₂状態から2πへの崩壊も観測された(約0.2%)
この現象は標準模型ではCKM行列の複素位相によって説明されます。小林・益川理論によれば、少なくとも三世代のクォークが存在すれば、CP対称性の破れが可能になります。
K中間子系でのCP対称性の破れには、「直接的CP対称性の破れ」と「間接的CP対称性の破れ」の二種類があります。直接的CP対称性の破れは崩壊振幅自体に現れ、間接的CP対称性の破れは粒子-反粒子混合に現れます。
ストレンジネスとCPT定理
素粒子物理学の基本原理の一つに「CPT定理」があります。これは、任意の量子場の理論において、荷電共役変換(C)、パリティ変換(P)、時間反転変換(T)の積が保存されるという定理です。CP対称性が破れる場合、CPT定理を満たすためにはT対称性も破れなければなりません。
CPT定理とストレンジネスの関連:
- 粒子と反粒子の質量は同じでなければならない(K⁰とK̄⁰など)
- 粒子と反粒子の寿命は同じでなければならない
- CPT対称性のテストとして、K⁰-K̄⁰系の精密測定が利用される
現在までの実験結果は、CPT定理を高い精度で支持しています。しかし、より高精度の実験により、微小なCPT対称性の破れが観測される可能性もあり、これは新物理の証拠となり得ます。
第5部:現代物理学におけるストレンジネスの重要性
ストレンジネスと標準模型
ストレンジネスの概念は、現代の素粒子物理学の基礎理論である「標準模型」において重要な位置を占めています。標準模型におけるストレンジネスの役割を見ていきましょう。
標準模型では、ストレンジクォークは以下のように位置づけられています。
- 6種類あるクォークの一つ(アップ、ダウン、ストレンジ、チャーム、ボトム、トップ)
- 「第二世代」に分類される(チャームクォークとペア)
- 「下」型クォーク(電荷-1/3e)に属する
- カラー荷を持ち、強い相互作用を行う
- 弱い相互作用ではフレーバーが変化可能
標準模型では、クォークの世代間の混合がCKM(カビボ・小林・益川)行列によって記述されます。このCKM行列において、ストレンジクォークに関連する要素(特にV_us、V_cs、V_ts)は、標準模型のパラメータを精密に決定する上で重要な役割を果たしています。
また、標準模型におけるCP対称性の破れは、CKM行列の複素位相に起因します。K中間子系で観測されるCP対称性の破れは、標準模型の予言と一致しており、小林・益川理論の正当性を支持する証拠となっています。
高エネルギー実験におけるストレンジネス
現代の高エネルギー物理学実験において、ストレンジネスは様々な側面から研究されています。主な研究テーマは以下の通りです。
ストレンジクォーク含有率と核子構造
陽子や中性子の内部構造において、「真空のゆらぎ」としてストレンジクォーク・反ストレンジクォーク対がどの程度存在するかは、重要な研究テーマです。
- 核子内ストレンジネスの主な測定方法
- 深部非弾性散乱実験
- パリティ非保存電子散乱
- 格子QCDシミュレーション
これらの実験や理論計算から、陽子の質量の約5%がストレンジクォーク・反ストレンジクォーク対に由来すると考えられています。また、陽子のスピンにもストレンジクォークが寄与している可能性があります。
ストレンジネスとクォーク・グルーオン・プラズマ
重イオン衝突実験では、初期宇宙に存在したと考えられる「クォーク・グルーオン・プラズマ(QGP)」状態を再現することが試みられています。QGPの特徴の一つとして、「ストレンジネス増強」現象が知られています。
QGPにおけるストレンジネス増強の特徴:
- 通常のハドロン衝突と比較して、ストレンジ粒子の生成率が増加
- 特に複数のストレンジクォークを含む粒子(Ξ、Ω)の生成が顕著に増加
- 熱平衡状態におけるクォーク自由度を反映
RHICやLHCでの重イオン衝突実験では、このストレンジネス増強が観測されており、QGP形成の重要な証拠の一つとなっています。また、増強の程度や粒子種依存性を詳細に研究することで、QGPの性質(温度、密度、粘性など)に関する情報を得ることができます。
ハイパー核物理学
ハイパー核(通常の原子核の中の核子の一部がハイペロンに置き換わった系)の研究は、強い相互作用の理解を深める上で重要です。
ハイパー核研究の主なテーマ:
- ハイペロン-核子相互作用の決定
- 三体力の効果
- 弱い崩壊過程の研究
- 重ハイパー核(複数のハイペロンを含む)の探索
日本のJ-PARCやドイツのGSI/FAIRなどの施設では、ハイパー核の精密分光実験が行われています。これらの実験から得られる知見は、中性子星の内部構造の理解にも応用されています。
ストレンジネスと宇宙物理学
ストレンジネスの概念は、宇宙物理学の特定の分野でも重要な役割を果たしています。
超新星爆発におけるストレンジハドロン
大質量星の終末期に起こる超新星爆発では、極めて高温・高密度の環境が一時的に実現します。このような極限環境では、以下のようなストレンジネス関連の現象が起こると考えられています。
- K中間子凝縮の可能性
- ハイペロンの一時的生成
- ストレンジクォークの生成と状態方程式への影響
これらの過程は、超新星のダイナミクスや、放出されるニュートリノの特性に影響を与える可能性があります。特に、ハイペロンの生成は状態方程式を「軟化」させ、爆発のエネルギーに影響すると考えられています。
中性子星とストレンジネス
中性子星は宇宙で最も高密度の天体であり、その内部ではエキゾチックな物質状態が実現している可能性があります。
中性子星内部でのストレンジネスの役割:
- 中心部での可能性:
- ハイペロン(主にΛ、Σ⁻)の存在
- K中間子凝縮
- ストレンジクォーク物質(クォーク星の可能性)
- 観測的検証方法:
- 質量-半径関係の精密測定
- 冷却曲線の観測
- 重力波の検出(連星中性子星合体)
2017年の重力波イベントGW170817(連星中性子星合体)の観測により、中性子星の状態方程式に厳しい制約が課されました。現在の観測結果は、中性子星内部に大量のハイペロンが存在する可能性に疑問を投げかけています(「ハイペロンパズル」)。一方で、クォーク物質の存在の可能性はまだ排除されていません。
フレーバー物理とストレンジネス
素粒子物理学の「フレーバー物理」と呼ばれる分野では、クォークやレプトンの世代間の遷移や混合が研究されています。ストレンジクォークを含む過程は、このフレーバー物理の重要な一部を形成しています。
ストレンジネス変化過程の精密測定
稀崩壊過程や振動現象の精密測定により、標準模型のパラメータを決定し、新物理の兆候を探ることができます。
重要な測定対象:
- K → πνν̄崩壊(超稀崩壊過程、ブランチング比約10⁻¹⁰)
- K⁰-K̄⁰振動パラメータ(ΔmK, εK)
- K中間子崩壊における直接的CP対称性の破れ(ε’/ε)
これらの測定は、J-PARCのKOTO実験、CERNのNA62実験、KEKのBelle II実験などで行われています。現在までの測定結果は標準模型と一致していますが、より高精度の測定により、標準模型を超える新しい物理の証拠が見つかる可能性もあります。
レプトンフレーバーの破れとストレンジネス
標準模型を超える理論の多くは、レプトンフレーバーを破る過程を予言します。ストレンジクォークを含む代表的な過程としては、K⁰ → μ±e∓やK⁺ → π⁺μ±e∓などがあります。
これらの過程の探索実験:
- J-PARCのCOMET実験
- CERNのNA62実験
- 将来計画されているKOPIO実験
現在までに、これらの禁止過程は観測されていませんが、探索感度は着実に向上しています。将来的には、標準模型を10¹⁰倍以上上回る感度での探索が計画されています。
格子QCDとストレンジネス
量子色力学(QCD)は強い相互作用を記述する理論ですが、低エネルギー領域では摂動計算が適用できないという困難があります。この問題を数値的に解決する手法が「格子QCD」です。
格子QCDにおけるストレンジネス関連の研究テーマ:
- ストレンジクォーク質量の決定
- ハドロンスペクトルの計算(特にエキゾチックハドロン)
- K中間子崩壊の形状因子
- ハイペロン相互作用ポテンシャル
- 有限温度・密度QCDにおけるストレンジネスの役割
近年の計算機性能の向上により、物理的なクォーク質量を用いた大規模シミュレーションが可能になっています。例えば、K中間子崩壊の形状因子の精密計算により、小林・益川行列の要素|V_us|が高精度で決定されています。
将来の展望と未解決問題
ストレンジネスの物理には、まだ多くの未解決問題や今後の研究課題があります。
主な研究課題:
- ストレンジクォーク質量の起源(ヒッグス機構との関連)
- 核子内ストレンジネスの精密決定
- エキゾチックハドロン(ペンタクォーク、テトラクォークなど)の内部構造
- ハイペロン-核子相互作用の完全決定
- 中性子星内部におけるストレンジ物質の可能性
- ストレンジネスを含む稀崩壊過程における新物理の探索
これらの課題に取り組むため、世界中の加速器施設やコンピュータセンターで研究が進められています。代表的な将来計画としては、以下のようなものがあります。
- J-PARC拡張計画(ハイパー核、K中間子稀崩壊)
- FAIR(GSI、ドイツ)(反ストレンジネス生成、ハイパー核)
- EIC(電子イオン衝突型加速器、米国)(核子内ストレンジネス)
- 次世代B-ファクトリー(フレーバー物理)
- エクサスケールコンピューティングを用いた格子QCD計算
これらの実験や理論研究を通じて、ストレンジネスの物理はさらに深く理解され、素粒子物理学の標準模型を超える新しい物理の探索や、宇宙の物質起源の解明に貢献することが期待されています。